壊れたコンクリートに思う
高橋 学
2月に発生したトルコ地震やウクライナでの戦争、また、建物解体を特集するテレビ番組などにより最近コンクリートの残骸を目にすることが多くなったような気がします。
トルコ地震はマグニチュード7.8で東北地方太平洋沖地震の7.9とほぼ同等でありながら内陸の地震であったことから建物に大きな被害が発生しました。一瞬にして多数の建物が倒壊した惨状を目にして、コンクリートに携わる身としてもショックとともにやりきれない思いを抱いたものです。
ウクライナの戦争ではわざわざお金と労力をかけて作った兵器で、これまたお金と労力をかけて作った建物を次々と破壊しており、なんともやるせない思いとともに怒りさえ覚えてしまいます。戦後(いつになるかはわかりませんが)は復興のためにまた相当な資源を投入せざるを得ないことを考えると、多くの人命が失われていることとも合わせ、人災ともいえる戦争を防ぐことができなかったことがとても残念でなりません。
建て替えのため一口に老朽化した建物を解体するといっても複雑な建物であったり都市部での工事となると高度な技術が必要となります。それでもその建物あるいはその周辺に生活する人々に資するものになるのであれば、解体でさえも創造的行為の一部であると言えるのかもしれません。
この世に存在しているものはいつかは朽ちて無くなるものとはいえ、その無くなり方はそれぞれであり、せめて未来ににつながる無くなり方であってほしいと思います。
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